よくくすりとえらい薬
                     宮澤賢治

1
清夫きよおは今日も、森の中のあき地にばらの実をとりに行きました。

2
そして一足冷たい森の中にはいりますと、つぐみがすぐ飛んで来て言いました。
「清夫さん。今日もお薬取くすりとりですか。

3
お母さんは どうですか。

4
ばらの実は まだありますか。」

5
清夫は笑って、
「いや、つぐみ、お早う。」と言いながら其処そこを通りました。

6
の声を聞いて、ふくろうが木のほらの中で太い声で言いました。
「清夫どの、今日も薬をお集めか。

7
お母は すこしはいいか。

8
ばらの実は まだくならないか。

9
 ゴギノゴギオホン、

10
     今日も薬をお集めか。

11
お母は すこしはいいか。

12
ばらの実は まだ無くならないか。」

13
清夫は笑って、
「いや、ふくろう、お早う。」と言いながら其処そこを通りすぎました。

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森の中の小さな水溜みずたまりのあしの中で、さっきから一生けん命歌っていたよし切りが、あわてて早口に云いました。
「清夫さん清夫さん、

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  お薬、お薬お薬、取りですかい?

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清夫さん清夫さん、

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  お母さん、お母さん、お母さんはどうですかい?

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清夫さん清夫さん、

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  ばらの実ばらの実、ばらの実はまだありますかい?」

20
清夫は笑って、
「いや、よしきり、お早う。」と云いながら其処そこを通り過ぎました。

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そしてもう森の中の明地あきちに来ました。

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そこは小さなまるい緑の草原で、まっ黒なかやの木や唐檜とうひかこまれ、その木の脚もとには野ばらが一杯に茂って、丁度草原にへりを取ったようになっています。

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清夫はお日さまで紫色むらさきいろげたばらの実をポツンポツンと取りはじめました。空では雲がはたのように光って流れたり、白い孔雀くじゃくのような模様もようを作ってかがやいたりしていました。

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清夫はお母さんのことばかり考えながら、汗をポタポタ落して、一生けん命実をあつめましたがどうう訳かその日はいつまでってもかごの底がかくれませんでした。そのうちにもうお日さまは、空のまん中までおいでになって、林はツーンツーンと鳴り出しました。
(木の水を吸いあげる音だ)と清夫はおもいました。

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それでもまだ籠の底はかくれませんでした。

26
かけすが、
「清夫さんもうおひるです。辯当べんとうおあがりなさい。落しますよ。そら。」と云いながら青いどんぐりを一つぶぽたっと落して行きました。

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けれども清夫はそれ所ではないのです。早くいつものくらい取って、おうちへ帰らないとならないのです。もう、おひるすぎになって旗雲はたぐもがみんな切れ切れに東へ飛んで行きました。

28
まだ籠の底はかくれません。

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よしきりが林の向うの沼に行こうとして清夫の頭の上を飛びながら、
「清夫さん清夫さん。まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」と言って通りました。

30
清夫はあせをポタポタこぼしながら、一生けん命とりました。いつまでたってもかごの底はかくれません。とうとうすっかりつかれてしまって、ぼんやりと立ちながら、一つぶのばらの実をくちびるにあてました。

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するとどうでしょう。くちびるがピリッとしてからだがブルブルッとふるい、何かきれいな流れが頭から手から足まで、すっかり洗ってしまったよう、何とも云えずすがすがしい気分になりました。空まではっきり青くなり、草の下の小さなこけまではっきり見えるように思いました。

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それに今まで聞えなかったかすかな音もみんなはっきりわかり、いろいろの木のいろいろなにおいまで、実に一一いちいち手にとるようです。おどろいて手にもったその一つぶのばらの実を見ましたら、それは雨のしずくのようにきれいに光ってすきとおっているのでした。

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清夫は飛びあがってよろこんで早速さつそくそれを持って風のようにおうちへ帰りました。そしてお母さんに上げました。お母さんはこわごわそれを水に入れて飲みましたら今までの病気ももうどこへやら急にからだがピンとなってよろこんで起きあがりました。それからもうすっかりたっしゃになってしまいました。

34
        ※

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ところがその話はだんだんひろまりました。あっちでもこっちでも、その不思議なばらの実について評判していました。大かたそれは神様が清夫におさずけになったもんだろうというのでした。

36
ところが近くの町に大三だいぞうというものがありました。この人はからだがまるでぞうのようにふとって、それににせ金使いでしたから、にせ金ととりかえたほんとうのお金も沢山たくさん持っていましたし、それに誰もにせ金使がねつかいだということを知りませんでしたから、自分だけではまあこれが人間のさいわいというものでおれというものもずいぶんえらいもんだと思って居ました。ところがただ一つ、どうもちかごろ頭がぼんやりしていけない息がはあはあ云って困るというのでした。お医者たちはこれは少しべすぎですよ、も少しごちそうを少くさえなされば頭のぼんやりしたのもからだのだるいのもみんな直りますとこう云うのでしたが、大三だいぞうはいつでも、いいやこれは何かからだに不足なものがある為なんだ、それだから、見ろ、むかしは脚気かつけなどでも米の中にどくがあるためだから米さえ食わなけぁなおるって云ったもんだが今はどうだ、それはビタミンというものがたべものの中に足りないためだとこう云うんだろう、お前たちは医者ならそんなこと位知ってそうなもんだというような工合ぐあいかえって逆にお医者さんをいじめたりするのでした。

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そしてしきりに、頭の工合のよくなって息のはあはあや、からだのだるいのが治ってそしてもっと物を沢山たくさんおいしくたべるような薬をさがしていましたがなかなか容易よういに見つかりませんでした。そこへ丁度ちようどこの清夫きよおのすきとおるばらの実のはなしを聞いたもんですからたまりません。早速さつそく人を百人ほどたのんで、林へさがしにやって参りました。それも折角せつかくさがしたやつを、すぐその人にまれてしまっては困るというので、暑いのを馬車ばしやって、自分で林にやって参りました。それから林の入口で馬車を降りて、

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一足つめたい森の中にはいりますと、つぐみがすぐ飛んで来て、少しあきれたように言いました。
「おや、おや、これは全体ぜんたい人だろうか象だろうかとにかくひどくふとったもんだ。一体何しに来たのだろう。」

39
大三は怒って、
「何だと、今に薬さえさがしたらこの森ぐらいっぷくってしまうぞ。」と云いました。

40
その声を聞いてふくろうが木の洞の中で太い声で云いました。
「おや、おや、ついぞ聞いたこともない声だ。ふいごだろうか。人間だろうか。もしもふいごとすれば、ゴギノゴギオホン、ぎんをふくふいごだぞ。すてきにかべあついやつらしいぜ。」

41
さあ大三は自分の職業しよくぎようのことまでわれたものですから、まっ赤になってほほをふくらせてどなりました。
「何だと。人をふいごだと。今に薬さえさがしてしまったらこの林ぐらいっぷくってしまうぞ。」と云いました。

42
すると今度は、林の中の小さな水溜みずたまりのあしの中にたよしきりが、急いで云いました。
「おやおやおや、これは一体いつたい大きなかわふくろだろうか、それともやっぱり人間だろうか、おどろいたもんだねえ、愕いたもんだねえ。びっくりびっくり、くりくりくりくりくり。」

43
さあ大三はいよいよ怒って、
「何だと畜生ちくしよう。薬さえ取ってしまったらこの林ぐらい、くるくるんに焼っぷくって見せるぞ。畜生。」

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それから百人の人たちをれて大三は森の空地あきちに来ました。
「いいか、さあ。さがせ。しっかりさがせ。」大三はまん中に立って云いました。

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みんなでガサガサガサガサさがしましたが、どうしてもそんなものはありません。

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空では雲が白鰻しろうなぎのように光ったり、白豚しろぶたのようにったりしています。

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大三は早くその薬をのんでからだがピンとなることばかり一生いつしようけんめい考えながら、汗をポタポタらし息をはあはあついて待っていました。

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みんなはガサガサガサガサやりますけれどもどうもなかなか見つかりません。

49
そのうちにもうお日さまは空のまん中までおいでになって、林はツーンツーンと鳴り出しました。ああなるほど、脚気かっけの木がビタミンをほしいよほしいよと云ってるわいと、大三は思いました。それでもまだすきとおるばらの実はみつかりません。

50
かけすが、
「やあ象さん、もうおひるです。辯当おあがりなさい。落しますよ。そら。」

51
と云いながら、くりの木の皮を一切ひときれポタッと落として行きました。
「えい畜生。あとで鉄砲てつぽうを持って来てぶっぱなすぞ。」大三ははぎしりしてくやしがりました。

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空では白鰻しろうなぎのような雲も、みんな飛んで行き、大三は汗をたらしました。まだ見つかりません。よしきりが林の向うの沼の方に逃げながら、
「ふいごさん。ふいごさん。まだですか。まだですか。まだまだまだまぁだ。」

53
と云って通りました。

54
もう夕方になりました。そこでみんなはもうとてもだめだと思ってさがすのをやめてしまいました。大三もしばらくは困って立っていましたが、やがてポンと手をたたいて云いました。
「ようし。おれも大三だ。そのすきとおったばらの実を、おれがこさえて見せよう。おい、みんなばらの実を十貫目かんめばかり取ってれ。」

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そこで大三は、その十貫目のばらの実を持って、おうちへ帰って参りました。

56
それからにせ金製造場がねせいぞうじょうへ自分で降りて行って、ばらの実をるつぼに入れました。それからすきとおらせる為に、ガラスのかけらと水銀すいぎん塩酸えんさんを入れて、ブウブウとふいごにかけ、まっ赤にきました。そしたらどうです。るつぼの中にすきとおったものが出来ていました。大三はよろこんでそれをみました。するとアプッと云って死んでしまいました。それが丁度ちようどそのばんの八時半ごろ、るつぼの中にできたすきとおったものは、実は昇汞しょうこうといういちばんひどい毒薬どくやくでした。




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